歴史 仁寿年間(833〜850年)に三修沙門(安祥上人)により、伊吹山四大寺(長尾寺・大平寺・弥高寺・観音寺)として開基されました。 正元年間(1259〜1260年)に伊吹山から現在の地に移り、 その後弘安年間(1278〜1287年)に至る役20年の間にほぼ現在の寺観と什物を整えたとされています。 正式には「伊富貴山観音護国寺」と称し、往時には寺領14町23坊を有した天台宗の名刹です。 背景 移転当時この地は、近江守護佐々木信綱の長子重綱が坂田郡大原庄を与えられ、大原氏を称していました。 重綱とその子孫は、大原判官と呼ばれ、大原氏の歴世中には、観音寺へ寺田のほか領家米、千部経読誦興業料、段銭などの寄進を行なっており、あたかも地頭大原氏の氏寺のような存在でした。 室町時代以降は浅井氏、次いで長浜城主となった羽柴秀吉も寺領を安堵し、江戸時代以降も緒約を免除せられ、領主の庇護を受けてきました。 寺院の構成 -全体配置- 【文化財】 1) 国指定重要文化財 ・木造伝教大師坐像 ・本堂 ・鐘楼 ・惣門 2) 滋賀県指定文化財 ・観音寺文書[625点] 3) 米原市指定文化財 ・木造千手観音立像 ・木造阿弥陀如来像 ・絹本着色浄土大曼荼羅 ・本坊 建築物 史跡 薬師堂について 大原観音寺山を愛する会 観音寺山を愛する会とは、地元有志が集まり様々な活動を行い、 昔からの自然や歴史・史跡を守って行こうという趣旨のもと平成17年7月に結成された会です。